2025年5月31日 更新
AKI通信 2つのOB会
2025年5月3日「草原コール70周年記念拡大OB会」が行われた。場所は、武蔵小金井のレストラン「葦」。
食事している間に、一人1分間の自己紹介を42名。年配者だから、早口なもの言いもできないし、でもみな努力して、うまく時間内に収まった。というのも、私たちは、みな兄弟姉妹以上、あの小金井の学芸大学の汚い狭い部室で、ひがな一日、歌いほうけたものばかり。なんとかかんとか、最後のカデンツで、1曲仕上がり、・・・「次、○ページ・・」と誰かが言って、ゲザングのページをめくる、あの頃コロナがはやったら確実に集団感染が起きていましたね。だって、1曲の譜面を7~8人で密着して見て、唾飛ばしながら歌ってたのだもの、草原のみなさん、心あたりあるでしょう!
担当してくれた方々が立派な記念誌を作ってくださった。表紙には、草原コールの全25回の発表会のプログラムが紹介されている。自分はこのあたりに出演してたな~と曲目をながめていくと、見事に、歌い継がれている歌が、ずいぶんある。このたびは、思いがけず草原コール70年の歴史を自身で辿る機会を得た。
1955年・・・学芸大学のうたごえサークル「草原コール」が誕生した。70年前は、文字通り、くさっぱらだらけだった。戦後のうたごえ運動の流れの影響はあったであろう、とにかく自由になんでも歌える時代になった喜びの日々だった。
1963年・・・第1回の発表会。「母なるヴォルガを下りて」などいまでも歌っている歌ばかり、70年たっても、魅力ある合唱曲だ。
1965年・・・第3回発表会、杉並公会堂、「パレストリーナMISSABREVS」、「わたしを責めないで」(不肖私がソロをしたのだ!若気の声をききたい!だれか音源ないですか?)など。長井先生や学生指揮者、佐之瀬さん,深沢さんなどが活躍。長井先生には、発声法や、音楽性など教えていただいた。この後、私たちは卒業して、みんな、それぞれの人生に突入する。
そして、きょうここに集っている「もう一つのOB会」の方々の時代に移っていく。
1970年・・・第8回発表会。70年代にはいり、高松巌さんを指揮者として迎え、「4つのウクライナ民謡」「果てもなき荒野原」「I heard the voice of jesus]」など、いわゆる民族発声による合唱、また源語であるロシア語で歌うなど、高松氏の方向を受け入れ、深めた時期であったろう。第14回の発表会まではテーマ「民族発声による合唱」としていて、興味深い。5/3の交流会でも、ロシア語で歌ってくれたが、あの地声を生かした歌い方がわずかだが、残っていて、そこにとても親近感を持った。歌い終わったとき、どなたか、アルトの方かな?「地声万歳!」って言ってたようだったけど・・・。日本の民謡や、黒人霊歌なども歌っている。「音楽はすべからく実は民族音楽なのである」ということばをきいたことがある。
1978年・・・第16回の発表会がまた興味深い。テーマは「ことばはいらない スキャットで歌う古典名曲」とある。しかも、無指揮の形態の合唱が中心となる、とある。これはいい意味で、ことばがいらないほど、古典音楽そのものに、興味が深まっていったのだろうな、と想像する。
その頃、私たち60年代のOB会は、各職場で、多くは教育に情熱をそそぎ、家庭を持ったりして、でも、歌いたいね、と1年に1回の「夏の集い」を始めた時期だった。「夏の集い」が8回続いた頃、
「もう一つの草原OB会」も秋に行われる小金井祭で1年おきに、「431号室にてOB・OG会」を始めていた。その会が、本年まで、なんと!20回、続いている。これは40年間。60年代の私たちの「夏の集い」は48回、48年間続いている。やはり、私たちは双子の兄弟姉妹だ。
今日、2025年5月に「はじめまして」とお会いしたわけだけど、共通に愛し歌ってきた曲も、ぜんぜん違和感なく、すぐにとけこんで、合唱できましたね。先輩格なので、佐之瀬さんが指揮、深澤さんがキーボード弾いてくれましたが、「最高!、ご機嫌だよ!」と久しぶりに満面笑顔の指揮者をみて、よかった!と思ったけど、お祝いに禁断の煙が舞った!?のは・・
その喜びがいかに大きなものであったか、さっそく、5/9の例会で後輩たちが歌った「果てもなき荒れ野原」を歌うことになりました。またいつものように、私たちのために楽譜をつくってくれるでしょう。私たちの草原コールOB合唱団も20周年。人数も少なくなりましたが、月2回歌うことが、健康の源にもなっています。歌い継いでいくことのパワーここにあり!この会を企画、進行、運営し、遠くからも集ってくれた皆々様に感謝!感謝しかありません。ありがとうございました。お元気で!
2025・5・5 60年代の草原コールOB(1962入学) 宇田川 彰